弘前大学理工学部物質創成化学科


研究内容

研究内容

「エイ・ヤー」

 この言葉を初めて聞いたのは大学院博士課程を終え、企業(日本鉱業株式会社)に入社後まもなくの頃(1985年9月)だった。 いまだに忘れられないので再現してみると、「なぜこの2点から直線を引いたのか?」 という研究リーダーが判断の根拠を求めたことに対して、「エイ・ヤーと引きました」と担当者が決断の意思表示を示し、そこで議論は途切れてしまった。 質問の趣旨は、横軸?縦軸の直線関係があるのか?、測定誤差は考慮しなくてよいのか? 等いくつかの問題点が含まれているはずであるが、それには答えずエイ・ヤーときたのである。 その時は驚いたが、その後この「エイ・ヤー」を社内のいろいろな会議でよく耳にした。 以来、論理的に判断できない事項の決定がどのようになされるのかに興味を持っている。
以前読んだ本の中に、「決断とは、例えばコロンブスが大西洋を西に向かって進んでゆく途中で、 これ以上進むと食料が不足して引き返せない地点に来た時に、更に西に向かって進むことを決めたという知的腕力である」とあった。 「地球は丸い」という当時実証されていない新説を信じ、インドに到達するという野望を持った上で、コロンブスには人に説明できない直感に基づく勝算があったのではないか。
研究においても各段階で大小様々の決断を迫られる時がある。 研究は練習問題とは異なり、答えの有る無しすら不明の未解決課題を設定し、それを解くことだと私は考えている。 研究者は情報を集め、計算や実験結果から種々の判断を行って人智を尽くすが、論理では超えられない谷間にぶつかる。 一方、時間すなわち研究者としての寿命または短期的にはそのテーマの研究期間は限られている。 最後に何かを信じて前人未到の世界に「エイ・ヤー」と飛ぶことになる。ブレークスルーとなり新天地につくかもしれないが、 場合によっては谷底に落ちることになるかもしれない。この飛行空間は時の論理構成から離れているので飛び出した者は孤独である。 私は恩師の言葉「理論武装されたオプティミストたれ!」を思い出しつつ仕事をしているが、理論武装はおろか、楽天的にすらなれない時が多々ある。 そのような晩に『八海山』がいい。これだと少々過ごして楽天的になりすぎても、翌日絶望的な朝を迎えずにすむことができる。 今宵も日本の片隅で、コロンブスが大海原で飲んだであろうワインの味に思いを馳せながら、研究のロマンに浸ろうと思う。