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 本瀬先生は,信州大学(昭和43年〜56年)・岡山大学(昭和56年〜60年)・弘前大学(昭和60年〜)で数学の教育と研究をなさってこられ,39年間という長い期間にわたって大学の数学教育および代数学の研究に大きく貢献されました。

 本瀬先生は,平成19年3月31日をもって定年退職されます。そこで本瀬先生に,現在までなさってきた教育や研究,そして理工学部等の将来についてお聞きいたしました。

 (インタビュアー:陳小君教授,豊田淳平技術職員)




 ホームページに掲載していただける事に感謝します。インタビューの前に就職までの学校生活について書きます。
 私は太平洋戦争が始まってまもなく,北海道風連町の農家に生まれました。
小学校入学前は,病弱でしたが,学校に通いだしてから今まで病気らしい病気もせずに暮らす事が出来,幸運でした。雪道を歩いての通学が今までの健康を支えてくれたと思っています。
 中学時代は片道4km,冬以外は自転車ですが,冬の雪の細道を歩くのはつらいものがありました。小学校時代から,算数,数学が好きでした。特に文章題が好きでした。
 中学2年の夏のある日,雑誌の付録に簡単な連立一次方程式が問題として載っていました。すでに,一次方程式の解き方は習っていましたが,未知数が2つのときはどうやって解くのだろうと半日考えた結果,解く事が出来ました。後で考えると,つまらない事ですが,その時は非常に嬉しかった事を今だにはっきり覚えています。また,中学卒業の頃,交わる直線を引いて,向いあった角が等しい証明を先生から教えられ,感動したこともありました。
 高校時代の通学は,風連駅から名寄駅まで汽車で15分,名寄駅から名寄高校まで片道2kmの徒歩でした。朝のHR開始までに着かなければならず,冬は朝暗いうちから家を出発,風連駅近くで,たびたび,通学列車と競争でした。
 高校時代は,数学ばかり勉強していて,他の科目はさっぱりでしたので,1浪の憂き目を見た。因数分解,ユークリッド幾何の証明問題に熱中し,微積は習う一年前から独りで勉強し,当時の高校では習わない自然対数の底やテイラー展開も知っていた。
 大学時代は山形市,山形大学文理学部で,最初は化学を専攻しようとしたが,実験が下手という事もあり,数学を専攻することにした。1年前期で決心したので,ロスはありませんでした。教養時代は高校時代と違って勉強が楽しかったです。苦手であった語学に力を入れて勉強しました。
 北大大学院時代は札幌に住み,修士課程で環論という代数の分野を勉強し,博士課程で群の表現論の勉強に方向転換しました。このことが私の方向を決定付けた様です。就職後の事は先の紹介,インタビューの中にありますので省略します。



   
 
作成:弘前大学理工学部数理科学科
http://www.st.hirosaki-u.ac.jp/~mathsci/2006/