研究の背景と目的
高校の化学の教科書において、水素結合は「電気陰性度の大きい原子の間に水素原子をはさんでできる分子間あるいは分子内の結合」と定義されています。水素結合のはたらきにより、水やアンモニアの沸点は、分子量から予想される値よりも異常に高くなると理解されています。水素結合には他にも様々な性質が知られており、その一つが結合の指向性です。この性質は分子パッキングに影響を及ぼすため、特徴ある結晶構造を構築する上で、水素結合の利用は有用であると理解できます(図1(a))。以上の観点から、太田錯体化学研究室では、錯体を基盤とし、特徴ある構造や機能を持つ結晶性水素結合ネットワークの構築をめざしています。
研究開発コンセプト
本研究は「ビス(インドール)に含まれるNH部位が水素結合点として利用できるのではないか」という発想から生まれました(図1(b))。しかし、NH部位を水素結合に利用すると、金属へ配位させることができなくなってしまいます。そこで、配位子をビス(ベンゾイミダゾール)へと変更し、水素結合点と配位点の両方を創出することにしました。ビス(ベンゾイミダゾール)を金属塩化物に配位させれば、分子間でN–H···Cl水素結合がはたらき、結晶性水素結合ネットワークが得られるはずだと考えました。
図1 : (a)水素結合の指向性。(b)研究開発コンセプト
これまでの研究成果
以上のコンセプトに基づき、ビス(ベンゾイミダゾール)配位ニッケルジクロリド錯体を合成し、結晶化させたところ、図2(a)に示すようにジエチルエーテルを取り込んだ結晶構造が得られました。次に、分子間にはたらく相互作用を調べました。その結果、分子間N–H···Cl水素結合とπ-π相互作用により、ニッケル錯体は2次元シート構造を形成していることが分かりました(図2(b))。さらに、この2次元シート間の状況を調べた結果、ベンゼン環が互い違いに出っ張っていることにより、2次元シート間には細孔が形成されていることが分かりました。この細孔中にはジエチルエーテルが存在します。細孔中に低沸点のジエチルエーテルが水素結合によって取り込まれていたことから「ジエチルエーテルを取り除けるのではないか」と考え、検討したところ、減圧条件下で加熱すれば、結晶性を保ちながら、ジエチルエーテルを取り除けることが分かりました(図3(上))。また、ジエチルエーテルを取り除いた後の結晶を、ジエチルエーテルの蒸気にさらすと、再び、ジエチルエーテルを含んだ結晶へと戻ることも確認しました。さらに、吸着状態と脱離状態の構造を比較することにより、吸着と脱離のメカニズムも分子レベルで明らかにしました(図3(下))。
図3 : 可逆的なジエチルエーテルの吸着と脱離