十和田

十和田カルデラを,湖中央から南南東約17km(北緯40°19′0″東経140°56′20″),高度5610mの位置から見た鳥瞰図。
国土地理院発行数値地図50mメッシュ(標高)のデータに基づき「カシミール3D」により作成。
青森県と秋田県の県境に位置する十和田湖は,
代表的なカルデラ湖として知られています。
十和田カルデラは,最大径約11kmのややゆがんだ四角形の外側カルデラと,
湖南岸から伸びた中山半島,御倉半島に囲まれた長径3kmの楕円形の内側カルデラからなる2重カルデラです。
カルデラ形成に伴い噴出した火砕流堆積物および降下火砕堆積物は,
青森,秋田両県に広く分布するだけではなく,一部にはほぼ東北地方全域を覆うものも存在します。
[空から見た十和田湖]
活動史
十和田火山の噴火活動が開始されたのは,約20万年前と推定されています。
まず現在の十和田湖の南東岸,北岸,北東岸で安山岩溶岩が噴出して,それぞれ小規模な山体を形成しました。
約4万年前からカルデラを形成する本核的な火砕噴火が開始されました。
約1万3000年前までの間に少なくとも6回の噴火イベントが起き,そのうちの3回は大規模火砕流を伴う噴火でした。
これらの活動により現在見られる十和田湖の輪郭が作られました。
外側のカルデラ完成後,1000年程度後までにはカルデラ南部でおもに溶岩流を流出するような噴火がはじまり,
カルデラ内に成層火山が形成されました。
これは現在の中山半島と御倉半島をほぼ含む程度の大きさで,溶岩流と火砕岩類からなります。
その後,この山体の火口から火山灰や軽石を広い範囲に噴出させるような爆発的な噴火が6回発生しました。
噴火が繰り返される内に火口は拡大し,ついに約5400年前の噴火によって火口が外側の湖と連結し,
現在の中湖が形成されました。
十和田火山の最新の活動は平安時代(おそらく915年)におこっています。
有史の活動
現在十和田湖の周辺では噴気や温泉の活動はほとんど見られません。
しかし10世紀に起こった十和田火山の噴火は,歴史時代における日本最大の火山噴火であったと考えられています。
この噴火は地質学的な証拠から以下のような経緯であったと推定されています。
まず現在の御倉山の場所にあった火口から降下軽石を噴出しました。
つづいて噴出したマグマは火砕流となって秋田県側に流下しました。
流下した火砕流が河川を埋めたため火山泥流が発生し,能代付近にまで達しました。
最後に火口から溶岩が噴出し,御倉山の溶岩ドームが形成されました。
火砕流や泥流の堆積物の分布する秋田県米代川の流域では,
洪水の後にしばしば平安時代の家屋,家具などが出土したことが記録されています。
近年でも遺跡の発掘や工事などの際に埋没家屋が発見されることがあります。
また,北東北に伝わる「八郎太郎伝説」は,この噴火の様子が伝承されたものではないかと
いう説があります。
延暦寺の僧侶により編纂された「扶桑略記(ふそうりゃっき)」という史料には,
延喜十五年(915年)の記録として,
「七月五日の朝日が月のようだったので人々は不思議に思った。
十三日になって出羽の国から,灰が降って二寸積もった,桑の葉が各地で枯れたそうだ,と報告があった」
という記述があり,この噴火に対応すると考えられています。
参考リンク
「日本の第四紀火山カタログ」十和田
火山データベースWEB版
十和田湖のフィールドガイド
群馬大・早川研究室のページ
[青森県の火山]
[月刊ホームページ 2000/01]
Minoru SASAKI
minoru@cc.hirosaki-u.ac.jp