バンクーバーで思ったこと
      

I.ブリティッシュ・コロンビア州
 6月のバンクーバーの空は曇って、肌寒く、予想してきた明るいカナダではなかった。私は文部省の在外研究員として、カナダ西岸のブリティッシュ・コロンビア州にあるサイモン・フレイザー大学に10カ月間滞在することになった。それでも、6月半ばから7月、8月にかけて雨の降る日は1日もなく、また猛暑だった日本とも違って、さわやかな夏の日が過ぎていった。  カナダで生活してみて、まず第一に印象に残っていることは、意外にも車の運転マナーがとてもよいというようなことだった。歩行者が横断歩道に立っているとほとんどの車が停止するし、道を走る自転車は最優先だし、駐車場でも近くに人がいれば車を動かさずに待っているといったふうで、小さい交差点などでも相手の車を優先するといった光景を何度も見かけた。カナダには「我先に」という発想はないようで、私は何度か自分が恥ずかしくなるような経験をした。これは車社会が成熟しているためであろうか、それとも人間そのものが成熟しているからだろうか。車の運転に限ったことではなく、普段の生活においても、人々は常に他人を優先し、とても親切で愛敬があるように感じた。5才くらいの子供でも、5メートルほど後ろにいる私のために、ドアを開けたまま待っていてくれるようなこともあった。カナダの人々は人生が無限にあるかのような行動をとる。資源が豊富で人口の割に土地が広いということになると、人々の精神にも余裕が出てくるものだろうか。  私は夏休みを利用してナイヤガラ滝とカナディアン・ロッキーを旅した。目の前に現れてくる大自然の容貌は日本列島と北米大陸のスケールの差を再現するかのように偉大なものだった。しかし、一方で日本人観光客が多いことは予想以上であった。観光地の一流ホテルには日本資本が入っているものが多く、そのためか、例えばナイヤガラのあるホテルでは、滝が見える側の部屋がほとんど日本人で占められるという結果になる。という私もそのうちの一人だったが。ブリティッシュ・コロンビア州の街街で出会う東洋人はまず中国人であるが、こと一流ホテルではそれが日本人ということになる。カナダはマルチカルチュラル国家と言われるようにあらゆる人種が住んでいる。余りに多くの人種が集まっているため、かえってアメリカのような人種差別の問題は少ないようである。ただし、カナダ原住民であるインデアンの問題は深刻のようであり、私の滞在中も、ケベック州のインデアン居住区では州警察との衝突が繰り返され、流血事件が後を絶たなかった。

II.サイモン・フレイザー大学
 キャンパスを歩くと、まず東洋人学生が多いことに気づく。中国人が特に多い。そのほかインド人、東南アジア系、南米系の人というように髪の黒い人種が多く、いわゆる白人は半分に満たないのではないかと思う。サイモン・フレイザーには日本人は少ないようで、滞在中私は一人の日本人とも会わなかった。もっというと、私より英語の話せない人には会わなかった。それでも、日本語を7年間習ったという中国人の歴史研究者と知り合い、久しぶりのことで日本語を話し感動した。大学内では廊下が実に広々としており、いたるところに図書館用の囲いのついた机が並べられており、いつも学生たちが勉強している姿を目にする。机に座りきれない学生は廊下に座り込んで勉強している。こうしてみるとやはり欧米の学生の方が勉強熱心かという印象を受けるが、実はサイモン・フレイザーでは途中退学者が非常に多いようで、勉強が性に合わないと思った学生はさっさと大学を去り、自分にあった生き方を探すそうで、本当に勉強したい学生だけが大学に残る結果そういうことになる。学歴がものをいう日本では起こりにくい現象である。次に印象に残ったことは、学生と教授が実に親しい関係であることである。文化の違いだからしかたないことだが、彼らが互いにファーストネームで呼び合う姿はほほえましく思った。サイモン・フレイザーの近くに学生数3万というブリティッシュ・コロンビア大学があるが、そこに比べて規模が小さいけれど、教授とのフレンドリーな関係を誇りにしていると、あるパーティーで出会ったサイモン・フレイザーの卒業生であるタイ美人が語ってくれた。弘前大学の学生もそういうことを誇りに出来るようになるとよいと思う。私の所属した物理学科では毎週2回の大小のセミナーが開かれる。大学の内外の研究者が演壇に立ち、物理学科の全教官と院生が出席する。このように、自分の研究分野とはまったく違った分野の発表を聞いたり、議論したりすることによって、幅広い考え方が身についてゆくのだなあと感心した。

III.おわりに
 私はカナダに滞在する間、日本にいるときよりアジアを意識することになった。日本の文化及び宗教の源である中国とインドの人々が、海を越えて生きている姿を見るたびに、日本はアジアの端の小国に過ぎないことを実感した。同じ研究分野で仲良くなった中国人研究者と話していると、特にそれを感じた。しかし、隣国どうしの彼と、第三の言語である英語で話さざるをえなかったことは残念だった。カナダは人間を中心に考えられている国だと思った。西洋文明は確かに合理的であり、人間の精神面に関しては優れたものであることを再認識した。しかし、豊富な資源の上に形成された西洋文明に比べて、例えば物を節約することに知恵を絞った東洋文明も、まんざら捨てたものではないという気持ちが強くなった。大切なことは、自らの文明の良い点と悪い点をしっかり見極め、良い点は堂々と主張することであると思う。私はこの10カ月の間にカナダ流の紳士的マナーを身につけてバンクーバーを後にした。ところが、成田に着いて入国審査を待つ人の列に並んだ途端に、以前の自分に戻ってしまったような気がした。  


Simon Fraser University留学記

 私は1990年6月から1991年4月までの間カナダのバンクーバーの近くにあるサイモン・フレイザー大学に留学する機会を得た。全般的な感想は「学園便り」に書かせていただいたので、今回は大学生活を中心に印象に残ったことを綴ってみようと思います。  サイモン・フレイザーの学生総数は1万人強で、構成専攻は自然科学系統では物理学、生物学、化学、応用科学(数学とコンピューター科学)、運動生理学があり、そのほかでは文学、経済学、芸術などがある。設立されて25年ぐらいの新しい大学なので研究分野も時代に即したものであるように感じた。物理学科では教授が25人くらいにそのほかの教職員が数人(うち事務職員4人)、大学院生が50人ほどいる。教職員と大学院生が物理学科のスタッフという感じで学部学生とは一線を画している。クリスマスなどのパーティーもこのメンバーで開かれる。  大学の福利施設としてはカフェテラスと呼ばれる食堂が3箇所と本屋が1つ、あと生ビールが飲めて週末は夜中まで営業するバーが1件ある。日本の大学生協のように生活用品や電化製品は売ってなかった(これには私も不便を感じた)。食堂は全般に料金が高いため多くの人はパンと牛乳ですますので、こみあうことはほとんどなかった。4、5人がけのテーブルが多く用いられているため、相席することや隣から椅子を借りることがしょっちゅう起こるのだが、そのたびに一声かけて了承を得るマナーの良さには感心した。書籍部の本の数はそれほど多くなく、専門書でも新刊しか置いてなかった。もっとも図書館が充実しているのでそれでよいのかもしれない。書籍部には大学のキャラクター商品のコーナーがあって、ネーム入りのTシャツ、バッジ、コーヒーカップから自動車のナンバープレートケースまである。教授、学生の区別なく愛学心が強いと思った。愛学心はその大学の独自生につながる大切なことであると思うが、弘前大でも生協が力を貸せるのではないかと考える。サイモン・フレイザーにもユニバーシティ・コープというものがあったが、これは学生にアルバイトの斡旋をしたり、トラブルの相談に応ずるなどの救済機関としての傾向が強いように見受けられた。
 教授たちは忙しそうに研究教育に没頭する一方、学生たちは政治にも関心を寄せているようであった。湾岸戦争が勃発した頃など廊下のコーナー(といってもかなり広い)に大型テレビが置かれ、ニュースが放映され続けたが、一日中人だかりが絶えなかった。また、カナダの大学ではティーチング・アシスタント制が行われており、博士課程の学生が給料をもらって学生実験や演習などの指導をするのであるが、その待遇問題でストライキをよくやっていた。事前に食堂の従業員などに協力を取り付けて当日の営業を取りやめるよう要請し、当日の朝は大学の門でビラを配り、他の学生や教職員を説得して帰ってもらうという方法でやっていた。大学内に運行している民営バスの運転手まで説得して、途中で引き返させるといった熱心さであった。大学内に限ったことではなく、小中高等学校でも教師のストライキのため学校が休みになることはよくあることのようだ。  学内を歩いてみると、校舎内は特定の喫煙所以外は全面禁煙で、教職員が自分の部屋で喫煙することも許されておらず、教授が外へ出ておいしそうにタバコを吸っていたりする。寒くない限りはドアを開け放って仕事をしている教授が多く、失礼してちょっと覗いてみたが、一人1台といった割合でマッキントシュ・コンピューターが普及しているようであった。私も日本にもどってさっそくMacを手にいれた。サイモン・フレイザー大の物理学科の大学院の定員は10人であるが、毎年世界中から約1000人の応募があると聞いた。そのうち500人が中国人でそのほかバングラディッシュなどアジアからの留学生が多いようだ。大学院の学生には既婚者が多く、卒業式に子供連れで参列する人もいた。中国人留学生の中で、夫婦で物理を学んでいる人たちが多く、私が知り合った御夫妻も今年中に二人ともPhDの学位をとる予定である。その友人とは今もbitnetを通して交信している。  サイモン・フェレイザー大は規模はそれほど大きくないが、研究環境はかなり質が高いと感じた。メインコンピューターは全研究室とつながれているし、簡単な実験器具を売っているサイエンス・ストアーがあり、サイン1つでガラス器具やフロッピーディスクなどが手に入るようになっている。大学は午後7時に施錠されそれ以後は外からは入れないようになるが、全部のドアに共通の鍵が大学院生と教職員めいめいに貸し出されており、夜間の大学への出入りは自由である。全ての面で欧米の大学が優れているというつもりはないが、捨てられる部分は捨て、ぎりぎりのところで合理化を行うとしても、研究及び教育を第一に考えていると思った。  バンクーバーの街は日本のようなネオンサインがなく、街灯が道路ごとに緑、オレンジ、白と色分けられており、夜景が美しいのが特徴である。サイモン・フレイザー大は小高い丘の上にあるため、1日の仕事を終えて帰路につく頃にはすばらしい景色に出会うことになる。日本の大学よりも優れて見えたのはそのせいかもしれない。