弘前大学 理工学部 物理科学科 放射光物理科学研究グループ | ||
部門 | 研究領域 (研究手法) | メンバー |
実験 | 物質の電子構造 (光電子分光,軟X線発光) | 匂坂 康男 加藤 博雄 手塚 泰久 遠田 義晴 |
物質の原子構造 (X線吸収微細構造) | 宮永 崇史 鈴木 裕史 小豆畑 敬 | |
理論 | 固体電子論 | 竹ヶ原克彦 |
目次
1)放射光
2)固体の中の電子の状態
3)光電子分光 ---ミクロ世界の電子構造を覗く---
4)角度分解光電子分光によるバンドマッピング
5)研究その1 --- 強相関電子系(磁性と超伝導)
電子は光(電磁場のゆらぎ)の粒(光子)を雲のように身にまとっていて,加速や減速をされたり,進行方向を曲げられたりすると雲の一部がちぎれ,光となって飛び出します。
電子が磁場の中を運動するとき,電子はフレミングの左手の法則に従って円運動の中心に向かって力を受け,軌道が曲げられます。この時,電子の周りにあった電磁場が振り落とされるようにして,電磁波が円軌道の接線方向に放射されます。この電磁波を放射光(Synchrotron Radiation)と言います。放射光は遠赤外線からX線に及ぶ広い波長領域をもっています。
この放射光を利用するための加速器は,円形の電子シンクロトロン加速器で,電子を光の速さ近くまで加速します。この加速器では,加速された電子は,加速器から外部へ取り出されるのではなく,その円軌道にそって回り続けるので貯蔵リング(Storage Ring)とも呼ばれています。
放射光の明るさは太陽の1億倍,研究室のX線装置の1000億倍もある21世紀を拓く驚異の光です(2002年2月号の「驚異の光:放射光」(遠田義晴 執筆)にわかりやすい解説記事があります)。
また,放射光の利用技術としての分光器について興味がある方は,実験物理学講座 第10巻(丸善,2001年)の9.1節 (加藤博雄 執筆)をご覧になってください。
固体は原子の集合体(condensed matter)です。
原子の大きさは約1Å(1オングストローム=1cmの108分の1),ちなみに原子核の大きさは10-4Å(10mの大きさの球を原子とすると原子核は1mmの小球,原子はがらんどうです)。
固体の中では,原子と原子の間隔は2~3Å,つまり1cm3あたり,おおよそ1022個の原子がひしめいています。
水素原子はただ1個の電子しかもっていませんが,原子番号が大きくなるにつれ,たくさんの電子をもつようになります。各々の電子は別々のエネルギーを持って,“古典的なイメージで言うと”,原子核を中心とした軌道を描いて回っています。
原子の中の電子がもつことができるエネルギーは連続的ではなく,離散的です。
このことを,原子内電子は離散的なエネルギー準位をとると表現します。
孤立した原子の場合,各電子にとっては自分専用の軌道なので,狭くてよく,実際,エネルギー幅はほとんどありません。
固体として金属を考えます。
金属の中では原子の最外の電子(価電子)の軌道は隣の原子の価電子軌道と接触し多少重なり合います。そのため,各価電子は,本来自分が回るべき原子核がどれなのか分からなくなって,隣の原子へ,そのまた隣の原子へと遍歴し,金属内を移動するようになります。
注)電場がかかっていなければ,右へ移動する電子があれば左に移動する電子もありますので,電流は生じません。電気が流れるためには,電場をかける以外に,価電子が原子核の束縛を脱して自由になることが必要です。この意味で自由電子と呼ばれていますが,全くの自由ではありません。外界に出て原子の庇護を受けられなくなった自由電子には他の自由電子と相争う弱肉強食の厳しい世界が待っています。
遍歴しだすと電子が通る「道路(軌道)」は混み合いますから,たくさんの価電子が自由に行き来できるように道路の(エネルギー)幅が広がります。価電子のこの広がったエネルギー準位をバンド(帯おびの意味)と呼びます。
パウリ アインシュタイン
電子は一匹狼的で,自分の縄張りに他の電子を寄せつけない性質をもっています(パウリの排他原理:電子はフェルミ統計にしたがうと言います)。そのため,1つのエネルギー準位には1つの電子しか入れません。
水をバケツに注ぐように,価電子をエネルギーの低い方からバンドに入れていくと,価電子数は有限ですから(価電子の数=価数×原子の数),あるエネルギーのところで電子は尽きてしまいます。そのエネルギーをフェルミ・エネルギー(またはフェルミ準位,記号はEF)と言います(バケツに溜まった水の水面に相当します)。
価電子バンドの構造を調べる上で放射光を利用する光電子分光が最も強力な実験手法なのです。
放射光を利用する光電子分光実験の装置図
固体(金属)の表面にエネルギーhνの光を照射すると,アインシュタインの光電効果によって固体内部の電子が外に飛び出します。
外に飛び出してきた電子(光電子)の運動エネルギーEKを電子エネルギー分析器(光電子分光器)で測定すれば,
EB=hν-EK (1)
の関係式から,固体内部での電子のエネルギーEBが求まります。
エネルギーの関係
光電子のエネルギー分布曲線(光電子スペクトル---光電子の数とEKまたはEBとの関係)を測定すれば,固体内部の価電子帯や内殻準位の様子を知ることができます。
これが,固体内電子のエネルギー構造をミクロに探る光電子分光です。
古典物理学の世界では,「それは粒子ですか,それとも波動ですか?」の問いにいみじくも表されるように,モノを把握する仕方(描像)に,粒子像と波動像の2つがあります。
粒子は質量mと速度vで規定され(運動量p=mvを定義),運動エネルギーを
ε=mv2/2=p2/2m (2)
で与えます。
一方,波動は波長λで規定され,波数kが
k=2π/λ (3)
で定義されます。
量子論では,電子は粒子性とともに波動性をもち(ド・ブロイの物質波),
λ=h/p (4)
あるいは
p=ħk (ただしħ=h/2π) (5)
の関係があります。
固体(金属)中を移動する電子のエネルギーは,真空中の電子が粒子性を発揮して ε=p2/2m のように運動量pの依存性をもつように,波動性を発揮してk依存性をもちます。
固体内電子の波数kとエネルギーε=-EBの間の関係,ε(k),を電子エネルギー分散関係または簡単にバンド構造と呼んでいますが,光電子の放出角度を制限しながら光電子スペクトルを測定することによって求めることができます(これが角度分解光電子分光です)。
価電子のバンド構造が,固体の結晶構造(原子の配列の具合)や物質の性質(電気を通すか通さないかとか,磁石に引っつくかどうかとか--磁性--,超伝導を示すか示さないかとか,光を通すかどうかとか,・・・・・・)の全て,物質世界の森羅万象を支配し制御しているのです。
バンドマッピングの実例(強磁性体の代表,Ni金属の場合)
単結晶試料の表面から垂直に放出される光電子のみを観測する場合,k⊥(固体内電子の運動量の表面垂直成分)は
k⊥=[2m/ħ2・(EK+V0)]1/2 (6)
で与えられます。ここで,V0は真空中の電子が固体に入ったときに受けるポテンシャルで,物質によって固有の値をとります。
バンドマッピングの手順例
[1] あるhνで,垂直放出の光電子スペクトルを測定する。
(下左:Ni金属の光電子スペクトルの図を参照)
スペクトル中の構造(ピーク)はそれぞれの電子準位に対応している。
[2] 各構造(ピーク)に対応するEKを(1)に代入してEBを求め,(6)に代入してk⊥を求める。
[3] 横軸k⊥,縦軸EBの図に,求まった点(EB,k⊥)をプロットする。
[4] 様々なhνに対して同様な操作を繰り返すと,下右の「Niのバンド構造」が得られる。
Ni金属の光電子スペクトル Niのバンド構造(ドット=実験,線=理論)
Niの1~3 eVの構造は3dバンドで,バンド理論とよく一致しますが,6 eVの構造(□)はバンド理論では説明できません。
磁性
現代の磁性物理に突きつけられている2大課題は
①強磁性の起源の解明(100年来の難問)
②超伝導と磁性を包含した強相関電子系における3d電子と4f電子の理解
です。
磁性は超伝導を破壊しますから,超伝導と磁性は仲が悪く相反する性質のものと信じられてきました。ところが自然は人知の及ばぬ奥深いものだったのです。電子間に働く強い電気的反発力(電子相関)は,磁性の発現にのみ重要なのではなく,超伝導の発現にも深く関わっていることが最近になってわかりました。人間は意表をつかれました。自然は100年もの長い間人間を騙しつづけていたのです。
私たちは3d電子や4f電子の性質を解明するために,Cr,Fe,Niの3d遷移金属やLa,Ceの4f希土類金属の光電子分光研究を行っています。
3d主線は3dバンド構造をよく反映する(バンド理論OK)。
一方,フェルミ準位EFの下6eVのバンド理論では説明不可能な構造は
光電子放出後の電子配置d8の2正孔束縛状態であると同定された
図は代表的な強磁性体であるNi金属の光電子スペクトルですが,3d主線はバンド構造を反映したものです。これは,3d電子が,その間に働く強い電気的反発力のために,互いに牽制しあって,接近しないように(時間平均的には)一定の距離を保ちながら,整然と運動している状態です。しかしながら,瞬間的には平均からの乱れ(ゆらぎ)は必ずあります。この電子相関効果の現われが光電子スペクトルのサテライト構造です。私たちは長らくこのサテライト構造を調べてきました。1S構造はごく最近発見したものです。サテライト構造を解析することによって裏に隠された3d電子の真の姿を知ることができます。
超伝導
1986年,銅酸化物高温超伝導体が発見されました。当初,転移温度以上で金属なのに,その光電子スペクトルにはサテライトがある上にフェルミ端のない摩訶不思議な物質であり,固体物理学の一大革命期の到来と,異常さを,国の内外で,ことさらに強調し喧伝され,奇妙奇天烈な理論が頻発されていました。 私たちはちゃんとした光電子分光実験を実施してフェルミ端の存在を確認,サテライトはNi金属にもあることを指摘し,Ni金属と同程度に電子相関は強いがバンド理論は成り立っていることを世界に先駆けて明らかにしました。私たちは超伝導体を含めて磁性酸化物の電子構造の研究をしています。
(続く)
1) 複数の放射光利用施設ホームページ.
2) 放射光利用技術と角度分解光電子分光について:
加藤博雄、匂坂康男ら、実験物理学講座 第10巻(丸善,2001年)第9章.
3) Ni金属の角度分解光電子分光について:
匂坂康男,加藤博雄ら:
Surface-Wave-Induced Interference Effects in Angle-Resolved Photoemission
Phys. Rev. Lett. 53巻 1493~1496頁 (1984年);
New Observation of the Valence-Band Satellite in Ni(110)
Phys. Rev. Lett. 53巻 1493~1496頁 (1984年);
Photoemission Study of the Valence-Band Satellite of Ni(110)
Phys. Rev. B 36巻 6383~6389頁 (1987年);
Valence-band satellites in Ni: A photoelectron spectroscopic study
Phys. Rev. B 70巻 233103頁 (2004年).