4   励起状態その後(失活過程)

    1.失活過程の種類 いよいよ本論です。光吸収で生じた励起状態は安定ではありませんから,いずれそのエネルギーを失います。その過程(失活過程 deactivation process)は光物理的過程 photophysical process光化学的過程 photochemical process2つに大別されます(図56)。後者は化学変化を伴う過程(光反応)を指し,前者はそれ以外の過程を指していますが,これはさらに無放射過程 nonradiative process放射過程 radiative processに分けられます。光化学初期過程は主にこのような3つの過程(放射過程,無放射過程,光化学的過程)をいうと考えてよいでしょう。以下これらについて順に述べていきます。

 (a) 放射過程:励起状態が基底状態に戻るときに光を放出する場合をいいます。一般に物質から放出された光を発光 emissionといい,これにはすべての物質から温度に応じて放出される

                                 

                                                            5 光物理的過程と光化学的過程

放射(あるいは温度放射)とルミネッセンス luminescence(冷光とも呼ばれる)がありますが前者は略し,ここでは後者だけを発光として取り上げることにします。放射過程には自然放出誘導放出の二種類があり(図1),そのうち自然放出にはケイ光,リン光があります。そして
 ケイ光 fluorescenceはスピン多重度が同じ2つの状態間の放射遷移,
 リン光 phosphorescenceはスピン多重度が異なる2つの状態間の放射遷移と定義されています。
 有機分子で典型的なケイ光は励起一重項状態S1 基底状態S0,リン光は最低三重項状態T1 基底状態S0への放射遷移に基づくものです。
 クロム(V)錯体の場合,励起四重項状態4T2g 基底状態4A2g放射遷移はケイ光,最低二重項状態2Eg 基底状態4A2g放射遷移はリン光です。
 S1, T14T2g, 2Egのように発光を示す状態は発光状態あるいは発光種と呼ばれ,それを帰属することは基本的に重要なことがらになります。
 発光にはそのほかに発光種によって特に名称が付く場合があり,例えばエキシマーケイ光,エキシプレックスケイ光などがあります。エキシマー,エキシプレックスについては後述します。

                                      

                                                    6 励起状態と失活過程

                               

            7    アントラセンの吸収およびケイ光スペクトル     8    [Ru(bpy)3]2+の吸収および発光スペクトル                                     

 図7に有機分子の例としてアントラセン,図8に金属錯体の例として [Ru(bpy)3]2+の吸収およびケイ光スペクトルをそれぞれ示しました。一定の条件の下では吸収と発光スペクトルの形が鏡を間に置いた時のように互いに対称になることが知られています。これを鏡像関係といい,アントラセンの場合に良く成り立っていることが分かります。
 遅延ケイ光delayed fluorescenceは,励起一重項状態S1 最低三重項状態T1に無放射遷移した後再びS1に戻り,そこからケイ光を出す場合です(後述図10)。この名は一旦三重項を経由するため時間的に遅れることに由来しています。S1から見られるケイ光ですから,スペクトルの形は通常のケイ光と全く同じです。
 一方誘導放出は励起状態が光の刺激を受けて光を放出する場合で,レーザーはこれに基づいていますが,そのためには一定の条件が必要であり通常の条件下では見られません。もっと詳しくは4-4-eを参照して下さい。
 (b) 無放射過程:励起状態が基底状態に戻るときに光を放出しない場合をいい,エネルギーは熱的に周囲の溶媒に与えられます。そのうちスピン多重度が同じ電子励起状態間の無放射遷移を内部転換 internal conversionといいます。なお無放射過程は理論的な取り扱いがなされてきた分野ですがここでは述べません。
 項間交差あるいは系間交差 intersystem crossing:無放射過程の中で特筆すべきこの過程は,スピン多重度が異なる2つの状態間の無放射遷移のことをいいます。代表的な例に励起一重項S1 最低三重項T1へのスピン禁制遷移があります。最低三重項状態は光化学で大きな意義を持ち,しかも3-4-cで述べたように最低三重項状態は直接吸収では生じないのでS1から無放射遷移で生じる以外にありません。従って項間交差は極めて重要な過程ですから,T1がどの位の割合で生じるかはS-T遷移確率と呼ばれ,その値を求めることが大きな関心事となっています。
 S1 T1スピン禁制遷移は,重原子が存在するとその禁制が幾分解けることが理論的にも実験的にも確立されています。これを重原子効果といい,重原子が分子内部にある場合(内部重原子効果)と重原子が第三物質として添加される場合(外部重原子効果)の二種類があります。
 (c)  光化学的過程:励起状態が化学反応を行う過程で,この反応は熱的に起こる反応と区別して一般に光化学反応と呼ばれています。エネルギー的に高い状態からの反応ですから,基底状態より反応性が増し,また基底状態とは異なる反応が起こるのも珍しくありません。有機光化学が進展してきた最大の理由もここにあるでしょう。多くの場合,反応中間体としてラジカルや,錯体では五配位中間体,七配位中間体等を生じます。

    2.基本用語 光化学での常用語を幾つか知っていただきましょう。

    (a) 量子収量あるいは量子収率 quantum yield:励起状態が上に述べたようなエネルギーを失う各過程を,1個の光量子当たりどの位の割合で行うかを示す数値です。各過程に対して,[いま問題にしている過程に進む分子の数]/[物質に吸収された光量子数すなわち光吸収量Iabs]で定義されます。ケイ光の量子収量,反応の量子収量などと特定の過程を明示する必要があります。例えばケイ光の量子収量ΦF0.5とは励起状態の50%がケイ光を出すことを意味します。
 (b) 寿命 lifetime:励起状態からの放射および無放射速度定数をそれぞれke, knrとし,反応の速度定数をkrとするとき,
            τm測定寿命あるいは平均寿命)=1(ke + knr + kr)  (10)
            τ0自然寿命あるいは放射寿命)=1ke  (11)
といいます。
 有機分子の励起一重項S1のように基底状態への遷移がスピン許容のときは,基底状態に速く戻るためにS1の寿命は短く,一方有機分子の最低三重項T1はスピン禁制遷移であるためにその寿命は長くなります。一般に有機分子でケイ光寿命が短く,リン光寿命が長いのはそのためです。
 (c)  量子収量と寿命:ある一つの過程に対する量子収量Φと速度定数kの間には次の関係があります。
            Φ=kτm  (12)
例えばケイ光の量子収量および速度定数をそれぞれΦF, kf, 光反応の量子収量および速度定数をそれぞれΦR, krとすれば
            ΦFkfτm  (13)
            ΦRkrτm  (14)
 (d) 化学光量計 chemical actinometer:量子収量を求めるのに必要な光吸収量を,光化学反応を利用して測定する方法で,実際には使用する光源の強さを測定します。すなわち光化学反応の量子収量が既知の標準物質を実際に光照射して反応させ,その反応量から光源の強さをさらには光吸収量を逆に求めます。光量計とあるからといって物理的なメーターを連想してはいけません。良く使われる光量計にトリオキサラト鉄(V)酸カリウム,ライネッケ塩などがあります。

    3.重要な光物理的過程 光物理的過程を通じて基本となる点を述べます。 

    (a) フランク・コンドンの原理:この原理は,「電子遷移(10-15 s)は核の運動(10-12 s)に比べると非常に速いので,電子遷移に際して核は互いの位置あるいは運動エネルギーをそんなに変えない」というものです。核は電子よりも約1840倍重いですから動きが鈍く,電子が遷移する短い時間の間は動かないとみなしてもよいだろう,ということです。

                                                        

                                                    9 フランク・コンドンの原理 

 この原理は電子遷移を理解するのに重要であることを図9で考えてみましょう。基底状態の振動準位vi から励起状態の振動準位vj への遷移を一般にi j遷移といいます。図の(1)は基底状態と励起状態とで安定な核配置があまり変わらない場合です。基底状態のv0から吸収が起こるとき,遷移b(0 3遷移)は基底状態に比べてエネルギーが増加するために,また遷移c(0 0遷移)は位置が増加するために,それぞれ遷移する確率(遷移確率)が低く強度も弱いことになります。従って図では遷移a(0 0遷移)が最も遷移しやすいと予想できます。このことはこの図では分りにくいのですが,ポテンシャルエネルギー曲線と呼ばれる曲線で考えると明らかとなります。一方(2)では,励起状態の安定な核配置が基底状態よりも増加しているために最も遷移しやすいのは0 3遷移であることを示しています。このように,電子遷移は核の位置やエネルギーが大きく変わらないものが許されるので,最も確率の高い基底状態からの遷移は垂直の矢印が励起状態のポテンシャルエネルギー曲線と交わる所であると結論されます(垂直遷移と表現されます)。そうでない遷移の確率は低いのです。
    (b) Jablonski ダイアグラム:フランク・コンドンの原理に基づいて励起状態間あるいは励起状態-基底状態間の電子遷移を振動準位も含めて表わすダイアグラムのことをいいます。例を図10に示しました。
 基底状態から垂直遷移で励起状態に達した直後の振動準位(フランク・コンドン状態)がv0ではない状態は,エネルギー的に高い振動状態であって励起状態にとって安定ではありません。図でフランク・コンドン状態はS1(v3)であり,従って安定ではないのでやがて分子は振動をしながらエネルギーを失い,最終的に振動準位v0の所に落ち着きます。これが振動緩和 vibrational relaxationと呼ばれる過程で,S2 S1, T2 T1などの内部転換に比べて非常に速いのでこの過程は優先的に起こることが知られています。
 図10で話をまとめてみましょう。フランク・コンドンの原理によって励起一重項状態S1(v3)のフランク・コンドン状態に励起された分子は,振動緩和によって速やかに安定なS1(v0)の準位に達し,そこからケイ光を出したり,反応を行ったり,無放射的に基底状態に落ちたり,

                                             

                                                     10 Jablonskiダイアグラム 

あるいは項間交差によって最低三重項に行くなどの初期過程を行うのです。ここでS1 T1項間交差で注意すべきは,T1に遷移直後はフランク・コンドンの原理によってT1の中で振動的に高い準位(図ではv3)にあり,最低三重項にとってはやはり安定ではないことです。従ってS1のときと同様に振動緩和によって速やかに安定なT1(v0)準位に達した後,リン光を出したり,無放射遷移を行うわけです。中には何らかの方法でエネルギーを獲得し,T1(v3)に達した後に逆項間交差によって再びS1に戻る場合があります。これが前述の遅延ケイ光です。この例から分るように,2つの励起状態S1-T1間の項間交差はダイアグラム上で水平線で表わされます。
 ケイ光は振動緩和の結果,S1の中でエネルギー的に最も低い v0から起こります。そのためケイ光スペクトルの極大波長はフランク・コンドン状態S1(v3)とのエネルギー差の分だけ吸収スペクトルの極大波長よりも長波長側に見られるのが普通です。このような吸収とケイ光とのエネルギー差をストークスシフト Stokes shiftといい,励起状態の核配置が基底状態よりも増加しているほどシフトは大きくなります。
 振動準位を考えた場合,吸収ではi j 遷移が,また発光では最低の振動準位からの0 i 遷移に基づくスペクトルが電子遷移に伴って見られます。これを振動スペクトルといい,それが現れたスペクトルの形・様子を振動構造といいます。図7に示したアントラセンの吸収,ケイ光スペクトルにはそれがノコギリ状に明瞭にみられることが分かるでしょう。

    4.二分子過程 これまでは励起分子が単独に行う過程を述べました。しかし励起分子は他の分子あるいは原子,イオンとの間に興味ある二分子過程を行います。 

 (a) 消光とエネルギー移動:ある励起一重項S1が次の(15)(18)までの失活過程を行うとします。このような一連の過程をスキーム schemeといいます。
 スキーム(15)(17)に対して与えた名称は既に述べたもので一分子過程ですが,過程(18)S1が外部の分子(第三物質)Qと衝突して基底状態S0に戻る二分子過程(反応)です。これを消光といい,Q消光剤 quencherといいます。S1Qによって消光されたことになります。

            S0 → S1                        光吸収(hν)  (15)        

            S1 → S0 + hν'              kf  ケイ光(ν > ν')  (16)        

            S1 → S0                        knr 無放射遷移(内部転換)  (17)        

            S1 + Q → S0 + Q         kq  消光 quenching  (18)        

 (18)では消光の結果Qに変化はありませんが,(19)のようにQが励起状態になる場合があり,このような過程をエネルギー移動 energy transferあるいは増感 sensitizationといいます。エネルギー移動の名前は,エネルギーを持っている方が持っていない方へエネルギーを与える,つまりエネルギーが移動することに由来しています。前者はエネルギー供与体と呼ばれ,S1T1などがこれに相当します。一方後者はエネルギーをもらう方なのでエネルギー受容体と呼ばれます。ここで注意しなければならないことは,
 「エネルギー移動は,エネルギー準位が高い方から低い方へと起こる」わけですから,
 「エネルギー供与体のエネルギー準位がエネルギー受容体のエネルギー準位よりも高い
という条件が必要なことです。
 増感の場合,「S1Qを増感した」とか,「QS1によって増感された」という風な言い方をします。エネルギー移動で生じた励起状態Q*は,直接励起で生じたときと同じように発光を示したり(20),反応したりします(21)。前者を増感発光,後者を増感反応とそれぞれ呼びます。S1が励起一重項のとき,普通Q*は励起一重項であるので増感ケイ光が見られます。

            S1 + Q → S0 + Q*       増感あるいはエネルギー移動  (19)        

            Q* → Q0 + hν''           増感発光 sensitized emission(ν > ν'')  (20)        

            Q* → P(生成物)          増感反応 sensitized reaction  (21)

 励起一重項(今度は1Xおよびそれとは異なる1Yとする)が示す振る舞いの中で興味があるのは,1Xと基底状態X0が二分子会合して励起状態の二量体を形成することで,できた二量体をエキシマー(excimerexcited dimerの意味)といいます(22)。同様に二量体形成が互いに異なる分子種1XY0からできたときはその二量体をエキシプレックス(exciplexexcited complexの意味)といいます。その最大の特徴は両者とも励起状態でのみ存在することで,基底状態に戻ると分解してしまいます。
            1X + X01X2*              エキシマー(励起二量体)  (22)        
            1X + Y01(XY)*          エキシプレックス  (23)        
 最低三重項は寿命が長いので同様な過程が励起一重項よりも起こりやすくなります。最低三重項からのエネルギー移動はごく普通に見られる過程ですし,特に有機分子の場合,最低三重項は溶液中に存在する溶存酸素O2によって迅速に消光され,溶存酸素は一重項酸素 singlet oxygen(1O2*)になることが知られています(24)。これが三重項に関する実験を行うために溶存酸素を除く操作(排気あるいは脱気)を行わなければならない理由となっています。
            T1 + O2 → S0 + 1O2*        消光  (24)        
 過程(26)T-T消滅を含む一連の過程(25)(27)によって,Q(この場合は受容体 acceptorと呼ばれる方が普通)の励起一重項1Q1から見られるケイ光を増感遅延ケイ光といいます。
            T1 + Q0 → S0 + 3Q1          エネルギ移動ー  (25)        
            3Q1 + 3Q1 → Q0 + 1Q1       T-T消滅 T-T annihilation  (26)        
            1Q1 → Q0 + hν'                 増感遅延ケイ光  (27)
 (b)   Stern-Volmerプロット:前述のスキーム(15)(18)に対して光定常状態法photostationary state methodを適用すると,次式が得られます。但し速度定数はスキームに示したものとします。
            ΦF0/ΦF IF0IF                                                                                                                                            
                                        1 + kqτ0[Q]  (28)
                              1 + KSV [Q]  (29)
ここでΦF, IFはそれぞれS1からのケイ光の量子収量およびケイ光強度であり,τ01(kf + knr)S1の寿命を表わします。このとき上付きのゼロは[Q](消光剤Qの濃度)がゼロのときを表わしています。さらにKSV(=kqτ0)で表わされる量をStern-Volmer定数(シュテルン-フォルマー定数)といって,この値が大きいほど消光が効率よく起こることを示します。

                                                         

                                                          11 Stern-Volmer プロット

 式(28)あるいは(29)から分るように,縦軸にΦF0/ΦFあるいはIF0IFを取り,横軸に[Q]を取ってプロットすると1を切片とし,傾きKSVの直線になります(図11)。これをStern-Volmerプロットといって発光や反応に対して一般に成り立つ重要な関係です。
 (c)  励起状態の優位性:励起状態は大きなエネルギーを有していますから,基底状態に比べて優れている点が多くあり,その顕著な例は反応に見られます。すなわち熱反応では一つの反応に

                                                             

                                                    12 励起状態からの反応が有利であることを示す図

対して何種類かの反応経路がありますが,ある温度で実際に起こるのはそのうち最も活性化エネルギーの小さな経路だけです。もっと大きな活性化エネルギーの反応を起こすには温度を上げなければならず,中には熱分解反応が起こってうまくいかないことも十分あり得ます。図12に示した例では三通りの経路のうち,経路A→C' は活性化エネルギーが大きく反応が遅いために,C→A' は生成物が安定でないという熱力学的な理由のために,共に反応は起きにくくなっています。実際に起こるのはB→B' 反応だけです。しかし光反応では励起状態が十分なエネルギーを持っているために,エネルギー不足から来る問題は解消されてしまいます。その結果, A' , B' , C' いずれの生成物も生じ得るのです。もっともA' は直ぐに分解してしまうでしょうが。
 もう一つ優れている点は,熱反応では大きなエネルギーを与える代償として反応系の温度が高くなるのに対し,光照射では反応系の温度が上がることはないということです。但し実際には光源ランプを点灯したとき,ランプが熱を発生するために反応系の温度が上がることはあります。もし適当な方法でこの熱を除くことができれば反応系の温度は増加しないはずです。

                       

                                  13 有機分子の励起一重項状態のまとめ

                 

                                                        14 有機分子の励起三重項状態のまとめ

 (d) 励起一重項,最低三重項状態の特徴:有機分子の励起一重項および最低三重項は光化学にとって基本になる重要な励起状態です。今まで述べたことを中心に整理して図13,図14に示しておきますから,できるだけ参照して下さい。なお簡潔さを期してこれらの図で振動準位は省いてあります。
 (e)  レーザー:これについては1-1-f4-1-bで既に簡単に触れましたが,ある程度の知識を蓄えた今,ここでもう一度振り返ってみたいと思います。
 レーザーはlight amplification by stimulated emission of radiation誘導放出による光増幅)の頭文字を取ったlaserの意味です。図1に示したように,分子が光を吸収して生成した励起状態は自然放出によって発光(この場合ケイ光としておきます)を出すのが普通です。しかしアインシュタインはこの励起状態が光の場にあるとき,その光の刺激を受けて入射光と同じ位相,振動数を持つもう1個の光を,ケイ光とは別に,放出すると考えたのです。これが光によって誘導されて出される光,つまり誘導光(=レーザー)でした。
 通常の条件下ではボルツマン分布によって基底状態にある分子数が圧倒的に多いために,励起状態から出るのは普通のケイ光だけです。誘導放出光すなわちレーザー光が見られるためには次の3つの条件が満たされる必要があります。@レーザー光を放出するレーザー媒質がある事,A光が増幅される事,B反転分布が実現している事です。このうちAを行うために使われるのがレーザー共振器(図15)です。2個の反射鏡を反射面が向き合うように並べ,一方の鏡は光

                            

                              15 共振器                                            16 レーザーの発振

を完全に,もう一方は部分的に反射するようにしておきます。外部励起源から光照射すると,レーザー媒質から出た自然放出光(ケイ光)は両方の鏡の間を往復します。その間に別の分子に入射するごとに1個の誘導光を引き出し,計2個の光となるので光の数は次第に増すことになります。最初は誘導光の向きは揃っておらず,鏡に平行でない物は系外に出ていきますが,時間と共に向きが揃った光となっていきます。そしてある程度まで光が強められたとき他方の鏡からレーザー光として放出される仕組みになっているのです。
反転分布は励起状態にある分子数を基底状態よりも多くすることですが,これがどのように実現されているのかを説明するのが図17です。効率よく実現するために都合のよいレーザー媒質を選んであり,E1, E2, E33つの準位からなるので3準位レーザーと呼ばれています。

                                                 

                                                     17 3準位レーザーの原理

いま光励起によって基底状態E1からE3に励起しますと,失活はE3E2E1と順に速やかに起こることになり,このままでは反転分布は実現しません。しかしもしE3E2無放射遷移が速やかに起り,E2E1無放射遷移が遅ければ,E2の分子数N2E1の分子数N1より多く(N2 N1)なってE2E1の間に反転分布が実現し,E2からのレーザー放出が起こることになります。3つの準位間の無放射遷移が速いか遅いかはレーザー媒質の性質に依存しますから,あらかじめこれらの情報が分っている媒質を選ぶ必要があります。
 最初に実現した誘導放出光はマイクロ波であってメーザーと呼ばれ,もっと波長の短い可視領域の光,レーザーではありませんでした。初のレーザーは固体ルビーからのものでしたが,その媒質となったのはルビーに微量含まれるCr3+でした。これはE14A2g, E22Eg, E34T2gに相当する3準位レーザーです。2Eg 4A2g(基底状態)がスピン禁制遷移で遅いので,2Egの分子数が多くなることによって2Egの分子数 4A2gの分子数となり,両者の間に反転分布が実現して2Egからのレーザー放出が起こるのです。
 そしてレーザー媒質を選ぶ際に必要なこれらの情報を与えたのが光化学であったわけで,それが可能であったのも多くの基礎的なデータの蓄積があったからこそと強調しておきましょう。