シリコンMBE成長中の光電子分光強度振動

シリコン分子線エピタキシー成長中の光電子分光強度振動


1. Siホモエピタキシャル成長中の光電子強度振動の出現
 Si(100)清浄表面の紫外光電子分光は多くの研究者により数えきれないくらい行われているが、これを基板 としたSi成長中のその場光電子分光測定はあまりなく、初めてこれを測定した結果が図1である。
Si成長源としてジシランガスを用いている。特徴的なことは結合エネルギーが0.5eVの表面シリコンダ ングリングボンドに由来する準位強度が、清浄表面に比べ成長では減少していることである。これは 成長中にジシランから解離した水素がダングリングボンドと結合し、その表面準位を消失させるため と考えられる。0.5eVの表面準位に光電子検出エネルギーを固定しその強度の時間変化を測定した結果 が図2である。

図1 Si(100)2x1清浄表面(実線)とこれを基板としたジシランGS-MBE中(点)のUPSスペクトル。


図2 ジシランGS-MBE中に見られるUPS振動。ジシランはstartで示した実線から導入している。

ジシランガス導入と同時に強度が減少し、その後強度に周期的な振動が見られる。しか もこの光電子強度振動(以後UPS振動と呼ぶ)はガス圧の減少とともに長周期になっていることが分 かる。図には示さないがUPS振動の周期は成長中の基板温度によっても系統的に変化することが分か った。このことから、この振動の周期はSiの成長速度に対応するものと考えられる。
 これが事実だとすれば、シリコン気相成長量を"その場"で非破壊的にしかも高精度で測定することがで きる。このことはUPS振動法がシリコンデバイスプロセスの微細化・高性能化を進める上で有効な測 定評価技術になることを示唆している。
 このUPS振動は特定の実験条件でのみ現れることがわかっている。しかし図1、2における実験条件 を示していないのは、この時点ではUPS振動の起源が不明で正確な実験条件が記述できないからであ る。以降ではUPS振動の起源を解明し振動が得られる条件を明らかにした実験結果について詳述する。

2. UPS振動の起源
 UPS振動の起源の可能性として以下の3つが考えられる。
@Siの単原子層成長にともなう表面荒さの周期的変化。
ASi表面上のダングリングボンドと結合した水素量の周期的変化。
BSiの単原子層成長にともなう表面再配列構造の周期的変化。
 @はよく知られているRHEED強度振動の起源でもある。Aは@の表面荒さの変化にともなって 生ずる可能性がある。BはSi(100)表面特有のダブルドメイン構造から考えられるものである。 これら可能性を踏まえ以下の実験を行った。

2−1 実験方法
実験は高エネルギー加速器研究機構放射光実験施設BL-11Dで行い、用いた装置は我々が開発した その場UPSシステムである。 放射光のエネルギーは23.3eVで入射角は45°、UPS振動測定中の光電子取り出し 角はほぼ表面垂直である。ただし、後に分かるように取り出し角は厳密に垂直ではなく 、この角度がUPS振動を発現させる上で重要な要素である。Si(100) 0.2°offウェハ ーを3x25x0.35mmに切り出し成長基板とした。この基板を化学前処理を行った後、真空中 で1000℃の通電加熱することにより清浄表面を得た。Si(100)表面は通常ダブルドメイン の2x1再配列(即ち2x1+1x2)をとるが、適当な処理によりシングルドメイン化が可能であ る。後で述べるように表面のシングルドメイン化がUPS振動の起源を探る上で重要となっ た。本実験では1000℃の長時間通電加熱アニールによってシングルドメイン化し、その直流 電流の向きを表面ステップに対しup-downにするか、down-upにするかで表面を2x1にするか1x2に するかを決定することができた。成長に用いたジシランガスの純度は99.99%である。実験方法の概略図を図3に 示す。

図3 実験装置の概略図とシングルドメイン表面の通電電流方向依存性

2−2 実験結果
 まずジシランから解離した水素が振動に関与しているかを調べるために固体Siソースによる 成長中に同様な測定を行った。その結果、固体ソースでも明らかに振動することが分かった (図4)。したがってUPS振動に水素は 関与していない。次に表面再配列構造と振動との 関係を調べるためシングルドメイン化した2x1と1x2両清浄表面を成長開始表面としてUPS 振動測定を行った。図5を見て分かるように振動の振幅が成長開始表面の再配列の違い(2x1が優 勢なA表面と1x2が優勢なB表面)により反転している。

図4 固体ソースMBE中に見られるUPS振動。挿入図は清浄表面のUPSスペクトルで、UPS振動で観測した 準位を矢印で示している。


図5 ジシランGS-MBE中のUPS振動。成長開始表面が2x1の場合(A)と1x2の場合(B)で位相が反転しているのが分かる。

この結果は、UPS振動の原因がシリコ ン単原子層成長による表面再配列構造,2x1と1x2,の周期的な入れ代わりによるものであること を示している。すなわち、以下のようなモデルである。Si(100)表面はその結晶構造から2x1表面上 に1原子層結晶が成長すると必然的に1x2表面になる。逆に1x2表面上に1原子層成長すると2x1表面 になる。そこで1x2表面に比べ2x1表面の光電子強度が弱いとする。すると2x1表面を成長開始表面と するUPS振動は図6左のように強度増加で始まり、1x2表面を成長開始表面とするUPS振動は図 6右のように強度減少で始まる。そしてどちらも2原子層成長を1周期とする振動が生ずる。実際に は前に述べたように水素による強度減少分があるが、これは短時間で飽和するので一定の強度が成長 中のみ差し引かれたような強度変化になる。

図6 UPS振動の発現機構モデル

3. 2x1、1x2表面のUPS強度差の原因
 上のモデルの中で2x1と1x2表面のUPS強度の違いはなぜ生じるのかという疑問が残る。これを明らか にするため2x1,1x2両清浄表面のUPSスペクトル強度を偏光依存性、角度依存性の観点から詳細に調べた。

3−1 実験方法
 実験は2.と同様にBL-11Dで行い、用いた装置はPF付属のARPES装置である。励起光は23.3eVの直線偏 光した放射光で入射角は45°である。Si(100)試料は[110]方向に3'、[1-10]方向に30''以内でフラット の面精度を持っている。試料サイズ、表面前処理法は2.と同様である。真空中で1000℃の通電加熱す ることにより清浄表面を得た。その後表面の再配列をシングルドメイン化するために数百Åの Si buffer layerと1000℃のアニールを数回繰り返した。LEEDの回折スポットの強度を測定し、その 結果major domain:minor domain=4:1の再配列表面を得た。major domainは2.で述べたように試料に 流す直流電流の向きを反転させ1000℃アニールすることにより変えることができる。ここではSiダイマー 列が励起光と検出した光電子が作る面に対し垂直であるような領域がmajor domainである場合2x1表面と 呼び、Siダイマー列が面内にあるような領域がminor domainである場合1x2表面と呼ぶことにする。試料 の方位角を回転させることにより2x1表面にしたり1x2表面にすることができるが、方位角を変えずに上で 述べた通電方向を変えてアニールすることにより2x1と1x2を変えることもできる。本研究では両方法の場合 とも測定を行った。

3−2 実験結果
 図7は通電方向を変えることによって作成したSi(100)2x1(破線)と1x2(実線)清浄表面の角度分解光電 子分光(ARUPS)スペクトルである。光電子の取り出し角がθ=0°で両スペクトルは完全に一致している。 すなわちnormal emissionでの偏光依存性による強度差は無いことが分かる。θ>0°では結合エネルギーが 0.5eV〜2eVと3.5eV〜4.5eVの範囲で差異が生じている。この差異は偏光依存性というよりは表面準位の角度分 散性によるものと考えられる。

図7 Si(100)2x1(破線)と1x2(実線)清浄表面のARUPSスペクトル。θは光電子の取り出し角。

 これまでUPS振動はnormal emissionで現れると考えていた。しかし厳密な角度分解測定ではnormalで2x1 と1x2のUPS強度に差はなく、normalからわずかに変えれば両スペクトルに差は現れる事が分かった。も しUPS振動の発現条件が厳密にはnormal emissionではなく、そして図7に示したような表面準位の角度 依存性を起源とするならば、2x1と1x2の差分スペクトルがUPS振動の振幅の結合エネルギー依存性に一致 するはずである。そこで広範囲にわたる光電子エネルギーでUPS振動を測定した(図8)。振動はこれま で述べてきた表面準位位置だけではなく、広範囲にわたり発現しているのがわかる。しかもb〜dの間でみら れる振動は、g〜lの間でみられる振動に対し位相が反転している。振幅の変化と差分スペクトルを比較した 結果、θ=5°の差分スペクトルが最もよく振幅の変化と一致することがわかった(図9)。

図8 ジシランGS-MBE中のUPS振動。様々な光電子エネルギー(a-l)で測定している。

図9 θ=5°のARUPSスペクトルの2x1と1x2の差分(点)とUPS振動の振幅の変化(黒丸および実線)との比較。

 3−1で述べたように方位角を変えることによっても2x1と1x2表面の差分スペクトルを得ることができる。こ の場合の結果は図7とほぼ一致した。
 以上より、これまで観測したUPS振動はθ=5°で測定したものであり、2x1と1x2のUPSスペクトルの強 度差は両表面での角度依存性の違いによるものであることが明らかとなった。

4. RHEED振動によるUPS振動周期の同定
これまでの結果によりUPS振動の起源は明らかとなったが、上のモデルを確立するため同成長条件で RHEED振動測定を行いUPS振動の周期がどのくらいの成長に対応するのかを調べた。具体的にはシ ングルドメインSi(100)上のSi2H6を用いたガスソース分子線エピタキシ中にRHEED回折スポット強度を 観測した。Laue1/2次回折スポットは成長時間とともに周期振動した。これは表面再配列構造の交代が1ML の成長毎に生ずるからである。すなわち振動の1周期はシリコン2原子層の成長に対応し、これによりシリ コンの成長速度がわかる。様々なGSMBE条件で成長速度を測定し、UPS振動法で得られた周期がどのくらい の成長に対応するかを調べた。図10は成長温度500℃で、ガス圧を横軸にとったときのUPS振動とRHEE D振動の周期をプロットした。すべてのガス圧で両振動周期はほぼ一致しており、UPS振動の1周期は2 原子層の成長に対応することが系統的に示された。これによりUPS振動の起源は表面再配列構造の交代によ るものであることが直接的に示された。

図10 UPS振動周期とRHEED振動周期の比較。

5. モンテカルロシミュレーションによるUPS振動の再現
 2.および3.でわかったようにUPS振動の起源は単原子層成長によるSi(100)表面の2x1と1x2の 入れ代わりにある。しかし実際の結晶成長で生じる表面反応は、表面原子のマイグレーション効果、 2次元核成長、ステップフロー成長など多彩であり、図6のモデルのような2x1と1x2が理想的に入 れ代わる層状成長が起こり得るかは明確でない。そこでどのような成長素過程や成長条件があれば上 で示した起源に基づきUPS振動が可能なのかを検証するため、モンテカルロ法による数値シミュレーシ ョンによりUPS振動の再現を試みた。
 成長モデルを以下に示す(図11参照)。
@ 100x100のセルを用意し、2x1と1x2のドメイン比率が4:1になるようにそれぞれのセルに原子を積み上げる。
A このセルの上にランダムに原子を落とす。
B すべてのセルの最上層原子に対し最近接のセルへの拡散を行う。ただしどの最近接セルに移るかは ランダムで、また最近接セルの状態により拡散できる確立Pは、                 とする。ここでAは定数、nは最近接セルのうち高さが自分自身より高いか同じである数(0〜4)、 kTは基板温度に対応する変数である。
C 2x1のセル数をカウントする。この数がUPS強度に対応する。
D Aに戻り必要な成長量までこれを繰り返す。
図12はkT=1、off-angle=0.4°の結果である。図中rateとはAで落とす原子の数であり、成長速度 に対応する。一見して分かるように振動現象が明確に現れている。rateが50〜200では30ML以上も振動 が持続しているのが分かる。

図11 モンテカルロ法によるUPS振動シミュレーションのフローチャート。

図12 UPS振動のシミュレーション結果。

基板温度kTを変え、振動の包絡線を図13の挿入図で示したようにフィッ ティングして、得られたパラメータをまとめた。成長速度に対する減衰率aの変化から振動は特定の成長 速度で長時間持続することが分かる。これは次のような理由によるものと考えられる。成長速度が大きす ぎると拡散せずに多くの原子が落ちてくるので層状成長せず3次元成長してしまい振動は減衰する。逆に 成長速度が小さすぎると拡散が大きくステップフロー成長してしまい図6のような2x1と1x2の入れ代わり が起こらなくなってしまう。減衰率のピーク位置は基板が高温になるつれて成長速度が大きいほうにシフ トしているが、このことは今述べた理由と矛盾しない。成長基板のoff-angleを変えた結果も同様で、振動 減衰率のピーク位置はoff-angleが大きくなるにつれて成長速度の大きいほうにシフトし、また減衰も大き い(図14)。以上のように、UPS振動は簡単な拡散モデルを考えれば再現でき、また適当な成長条件を 満たせば30ML以上に及び持続させることができる。

図13 UPS振動の減衰率と初期振幅の成長速度依存性。成長温度をいくつか変えている。

図14 UPS振動の減衰率と初期振幅の成長速度依存性。基板オフ角度をいくつか変えている。

6. まとめ
 以上をまとめると、UPS振動の発現に必要な条件は@2次元核をともなう層状成長、 A2つ以上の異なる電子状態を持つ表面の出現、である。したがってこの条件を満たせばSi(100)上 の成長に限らず他の表面での成長に対してもUPS振動が発現すると考えられる。UPS振動と類似 の現象としてRHEED振動が知られているが、プローブとして高速の電子線を用いるので結晶成長 に対する電子線照射の影響が無視できず、電子線照射の有無による成長速度や成長膜質の違いが懸念さ れる。UPS振動はこの点においてそれほど成長に影響を与えないと考えられ、ありのままの成長を観 測できる。しかしUPS振動は励起源の強度、検出効率、励起確率等の違いにより、RHEED振動に 比べその強度が弱く、成長速度が大きな場合では十分なS/Nを持つ振動が得られ難い。したがってUP S振動の応用面を考える上でその大強度化は欠かせない。このためには以下のような改良が挙げられる。
@ 励起光の高輝度化。このためには高輝度放射光などの大規模な施設が必要とされる。
A 光電子検出の高効率化。本研究でわかったように必ずしも高エネルギー分解能や高角度分解能は必 要としない。
B 励起光、光電子エネルギー、測定条件の最適化。